おはようフェルプス君

芸能界なんかの業界用語、というか習慣で、「挨拶は時刻にかかわらず常に『おはようございます』」というのは有名な話です。
芸能界に限らず、結構あちこちのコミュニティでそうなってるような気もします。
昔、飲食店でバイトしてたときもそうでした。
学生時代のクラブでも伝統的にそうでした。
まぁ、こっちは音楽業界(結果的に芸能界)の影響受けてるんでしょうけど。


それで、いつでも「おはようございます」を使う理由としては、芸能界は昼も夜もない世界で常に誰かが今起きたところだから、などと俗に言われています。
シフト制の職場などでは、これから仕事を始めるにあたって最初の挨拶だから、とも言うようです。
また、もう少し論理的な根拠として、朝昼晩の挨拶の中で唯一敬語表現が存在するからというのもあります。


確かにどれも納得できる話なのですが、実は別の理由もあるんじゃないでしょうか。


それは、上記の最後の理由とは反対で、「友達口調表現が存在するから」。
もう少し言うと、同輩間だけでなく、後輩に対しても違和感なく使える言葉だからではないかと、さっき突然気付いてしまったのです。
なんか今さらですけど。


「こんにちは」や「こんばんは」だと、そこまで改まってはいないけどやっぱり丁寧で、例えば会社で後輩の若者に対して先輩が使うと、ちょっとお堅いって言うか、どこかよそよそしい感じがあるじゃないですか。
もっとこう、フレンドリーに気安く呼びかけるには、「おはよう!」がぴったりくると思うんですよ。


それを考えると、目上に対しても目下に対しても、大げさな言い換えをしないで応用が利くから、「おはようございます」をデフォルトとして使うのが妥当、としているのではないかと。


似た感じで便利な言葉は、「お疲れさまでした」。
「お疲れさま」、「お疲れ」と変形させるだけで、だいたいどんなシチュエーションでも使えます。


個人的には「目上を敬う表現(敬語)があるから」という理由にはアカデミックな雰囲気を感じるんですが、「目下に親しみを込められる表現があるから」と考えると、急に人情的な理由に見えてきて微笑ましく感じちゃったりなんかします。


たぶん、「おはよう」にしろ「お疲れ」にしろ、日常的には無意識に使ってて、その利便性は、みんな何となくわかってるんだと思うけれど。
改めて考えてみたら、ちょっと面白かったのでネタにしてみましたよ。


あ、あと、「おやすみ」もこのパターンの言葉ですが。
でも、「おはよう」から「おやすみ」では、暮らしを見つめる肉食獣みたいで、ちょっとアレですよね。やっぱり。