良いも悪いもリモコン次第

最近はマンガも含めて、週刊誌の類をほとんど読まなくなってしまいました。
たま〜に、気になった記事があるのを見かけると買う、ぐらいです。


で、今週の AERA に、その気になる記事があったので、買ってみました。
その記事とは、「デジタルプアの見えない壁」。


今さら感もありますが、個人的に興味深かったので。
最近、ちょっと生活が変わって、新しい人と知り合う機会がそこそこあるんですが、気になるのは、ほとんどみんなパソコンを使わないこと。*1
使えないかどうかはわからないので、そこは断定しませんが。


もちろん、IT業界の人みたいに使いこなせとは言わないけれども、今どきパソコン使わないで仕事になるのか、と他人事ながら心配になってしまいます。
とりあえず、ケータイがあれば足りる、ということでしょうか。
AERA の記事で対象にしているのは、現在 20代の若者の話であって、蒲田屋(や、蒲田屋の知り合い*2)の世代よりはちょっと若い層だから、そのまま当てはめることはできませんが。


記事の詳しい内容は、興味のある人は立ち読みでもしてもらうとして、大雑把にまとめると、要は「ケータイだけの若者はいわゆるデジタルデバイドの一種である」ということ。
ケータイも最先端のデジタルツールのように見られがちだけど、パソコンを使わずにケータイだけで生きてると、それはやっぱり情報社会から隔離されてるってことだ、という感じ。
蒲田屋なりの要約なので、人によっては違う意見があるかもしれないけど。


個人的な感想を加えれば、「ケータイはあくまでもコミュニケーションツールであり、情報を扱うパソコンを使わない(使えない)のは、社会的情報格差の下層に近づく」という感じ。
目線が自分の正面以外を向かないので、広い視野も得られないし、物事を俯瞰も概観もできない。というのは、ちょっと概念的だけれども。


今まで漠然と抱いていた、ケータイ文化とパソコン文化の差異をハッキリ示されたようで、ちょっとスッキリしました。
当然、パソコン使えた方が仕事の上でも有利だよ、という当たり前の内容もありましたが、そちらは今さらなので。


さらに、まったく別の記事(会津若松の事件)に関する吉岡忍氏の特別寄稿がリンクするようで興味深いものがありました。
この記事は、「肥大する『自分主義』 もうやめよう」という題で、


何でも自分のせい、自分のおかげにする <自己肥大化> がますます進んでいるが、最大の敵は <世の中> や <世間・世界> であることは常識ではないか。
だから私たちは、この最大の敵である世の中の歴史や仕組みを知ろうとする。
知的とは、そういう試みのことを指している。



と語っています(一部編集)。
吉岡氏は常識、と言っていますが、これを知っている人がどれだけいるか疑問です。
なぜなら、日本人は皆、そういう教育をされてきたからです。
日本人は、世の中の仕組みは教えられずに社会に出ます。
だから当然、いろいろ問題が発生します。


吉岡氏の言葉を借りれば、そういう人たちは「知的でない」ということになります。
まぁ、確かにそうかもしれません。
教えないこと自体が、すでに「敵」の作戦かもしれません。
自力で、「最大の敵は世の中だ」ということに気付いた人が、敵に対抗する権利の第一歩を得るというわけです。


なぜこれが、デジタルプアとリンクするのかというと、ケータイだけのライフスタイルというのは、結局、自分中心のコミュニケーションしかしていない、と思えるからです。
良くも悪くも「自分主義」。
概観性や客観性が非常に得られにくい世界だと思います。


別にケータイがいけないとか、パソコンの方が偉いとか言うつもりはなくて、どちらも道具である以上、使い方次第だし、使う人次第です。
ただ、どちらも一長一短ある以上、両方の長所を活かせた方が、より有利だと思うわけです。


とかなんとか、なかなか有意義な意見を得ることができました。
たまには週刊誌も読んでみるものですね。




……あれ?! ちょっとなによ、この真面目な話!
面白くもなんともないじゃない!


すんません。ネタ切れなんす。

*1:会社では使ってる、という人はいるが、そういう処理装置としての使い方ではなく、個人的な情報収集や勉強・趣味・コミュニケーションのために使っているかどうかということ。

*2:実際には、新たに知り合う人の多くは年上のことが多いのだが。