前回までのあらすじ

予告通り、「かまいたちの夜(以下「かま1」)」と「かまいたちの夜2 監獄島のわらべ唄(以下「かま2」)」の感想を。
かまいたちの夜×3 三日月島事件の真相(以下「かま3」)」に収録されているのは、上記 2作の本編(メインストーリー)のみなので、感想も基本的に本編に限った内容である。


感想を長々と書くのは蒲田屋の悪いクセなので、いつものように結論を先に書いておく。


今回、「かま1」と「かま2」を続けてやってみて改めて実感したのは、「かま1」の出来の良さと「かま2」のダメさである(詳しくは後述)。
シリーズのファンの多くの意見がそうであるので、今さら多数派の感想を抱いたところでどうということはないのだが、ともあれ、これで一般的なプレイヤーと同じ心境で「かま3」をプレイすることができる。


つまり、「あの」前作を同じ舞台でどうフォローするのか、どうケリつけるのかという期待と不安である。
聞くところによれば、「かま2」の不評を聞いた我孫子武丸氏が、ファンの声に応えるべく「かま3」を執筆したとか。
確かに、「かま2」で終わったままではファンは納得しないだろう。
それだけの背景があって「かま3」が出るからには、期待せずにはいられない。
その期待を高めるためにも、「かま1」「かま2」をもう一度やり直しておくのは有意義だ。


しかし、それ以上に、復習という点でも「かま3」プレイ前には是非とも前2作はクリアしておきたい。
もちろん、ただクリアするだけでなく、事件の背景や人間関係などについてもしっかりと理解しておく必要がある。
その準備ができて初めて、前2作と密接に絡み合った「かま3」のストーリーが最大限楽しめるのである。


「感想の結論」と言いつつ、「かま3」への煽りばかりで、肝心の感想は最初の 1行にしか書いていないが、結局のところはそれだけである。
以下、「かま1」「かま2」それぞれの感想を書くが、相変わらず冗長なので、興味があるかヒマな人だけ読んでいただきたい。

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まず、サウンドノベル*1のお約束について。
主人公の行動によって結末が変わるマルチエンディングシステムである。
よって、エンディング(以下「ED」)が複数あるのだが、ハッピーエンド、つまり本当の完結ED は「完」と表示される。
それに対し、バッドエンド(とは限らないが便宜上そう呼ぶ)は「終」と表示される。


「かま1」本編の ED は 13個である。
そのうち「完」が 3個。それ以外は「終」である。
「かま1」が素晴らしいのは、残り 10個の ED が、完全ギャグの ED(そもそも事件が起こらない)1個を除いて、全てが本編の設定・展開とも矛盾することなく、「起こり得る未来」として成立していることだ。


おそらく、予備知識なしで初プレイすると、ほとんどの人が最悪の ED を迎えることになる*2。それだけ真実を推理するのが難しいということなのだが、何度もプレイし、展開の異なるバッドエンドにたどり着くうちに、だんだん見えてくることがある。
ストーリー進行に矛盾がないため、バッドエンドでもヒントになり得るのだ。


そして、段々と真実が見えてくる。
ここでまた素晴らしいのは、真実を見極め、事件を解決するチャンスが複数あるということ。
事件が連続殺人になっていくということは、公式サイトでも紹介されているが、事件解決のタイミングによって被害者の数が変わるのである。
そんなの当たり前じゃん、と思う方も多いだろうが、こういう本当の意味でのマルチエンディングは、当時としては画期的*3であり、ゲームという形式を見事に活かしていると言える。


これらのシステムが、推理モノとしてしっかりしたストーリーの本編と合わさり、小説とゲームの融合に成功している。
初出は 1994年であり、蒲田屋はリアルタイムにプレイしていたが、今やっても改めて面白いと感じたのが良作の証であろう。

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次に「かま2」についてである。
「かま2」本編の ED は 21個である。
これは「かま3」に収録された「かま2」本編の ED数であり、オリジナル版の本編は 23個の ED があった*4
ここでは、「かま3」収録版について述べる。
ED の内訳は「完」ED が 1個。それ以外は全て「終」ED である。


「かま1」よりもストーリーのボリュームが大きくなっているので、ED数が増えているのは当然と言えば当然であるが、蒲田屋はすでにここから不満がある。
「終」ED を内容で分類すると、ギャグED 5個、ナンセンスED 6個、不条理ED 3個、正当展開ED 6個である。


ここで、ギャグED とは、設定も何もお構いなしで荒唐無稽なオチで終わるお笑い系のED。
ナンセンスED とは、ギャグED 同様に設定無視で突飛なことが起きるが、お笑いではないED。
不条理ED とは、一見 本編に沿っているように見えるが、突然、設定や前提、今までの展開と矛盾することを言い出し、無理矢理ストーリーを収束させて終わらせるED。
正当展開ED は言うまでもなく、本編の設定・展開とも矛盾することなく、「起こり得る未来」として論理的に整合するED。


要するに、正当展開ED 以外は、強引ED として一括りである。
そう考えると、正当展開ED は 6個しかなく、「かま1」の 9個より少ないのである。
「かま1」の感想として述べた通り、「終」ED であったとしても、ストーリーと矛盾しないで終わるのが面白いところであったはずなのだが、そこがかなりおろそかにされてしまっている。
無理に ED を作ってマルチエンディングにしたという感じである。


また、予備知識なしの初プレイでも、ほぼ間違いなく「完」にたどり着いてしまうという点も見逃せない*5
当然、蒲田屋も今回、(元々、あらすじさえほとんど覚えてなかったのに)頭空っぽにして挑んだにもかかわらず、見事に初プレイで「完」である。
これが、「かま2」がただの小説であると揶揄される原因であり、今回、「かま1」「かま2」を続けてプレイしてみて、それが実感できた。
このゲーム性の有無が、評価を分けている一因であることは間違いない。


前述の通り、「かま2」はファンの間でも概ね不評である。
「かま2」は 2002年に PS2 のゲームとして発売され、蒲田屋もリアルタイムでプレイしているのだが、実を言うと、当時はそれほど悪い感想は抱かなかった。
その原因は、まず、「かま1」から 8年という歳月が経っていたせいで、「かま1」の内容とその完成度の高さをすっかり忘れていたこと。
また、謎を解こうと推理しながら進めてはいたが、あまりじっくり読み込まないで流してしまっていたため、物語中で語られる表面的な説明に納得してしまい、突っ込みを入れるべき多くの点を見逃していたこと。
正直、犯人の正体と物語の結末に驚かされた、というのもある。


だからというわけではないが、ゲーム性に欠けるという批判はとりあえず置いておいて、本編シナリオは小説として見れば、そこそこ楽しめると言っても良いと思う。
奇抜なトリック、予想外の犯人、意表を突く動機。
流し読みでなんとなーく物語の流れを楽しむ分には、「あーそうなんだー、へ〜、なるほどねー、ふーん」という感じで読める。
しかし、じっくり読み込んでシチュエーションを把握し、ストーリーの進行と同時に状況を逐一理論的に考察し、推理を積み重ねていくタイプのプレイヤーにとっては、アラが多すぎる内容だ。


不評の理由はいくつかあるが、ストーリー中に理論的に不自然な部分が多く(それも比較的重要な部分で)、突っ込みどころが多いのもその一つ。
蒲田屋も今回、「かま3」につながる重要なストーリーということで、じっくり考えながらプレイしていたら、この突っ込みどころが多々引っかかって、やっぱり穴が多いなぁ、と感じてしまった。


ここで重要なのは、プレイスタイルによって感想が異なるということである。
2002年当時の蒲田屋のように、流し読みする感じでサクサクと進めていき、トリックを知って「なるほどねー」、動機を知って「そうだったんだー」、と表面的にあらすじだけ知って満足、というプレイスタイルだと、それほど不満に感じない。
しかし、今の蒲田屋のように、じっくり地の文を読み込み、状況を把握し、物事の因果関係に思考をめぐらし、人物の心情まで捉えようとするようなスタイルだと、穴の多さに不満を持つのである。


これがなぜ重要なのかというと、「かま3」の評価が分かれる原因の大部分はここにあるのではないかと考えるからだ。
詳しくは、「かま3」の感想として別の記事に書くが、先に言ってしまうと、「かま3」では「かま2」と逆のことが起こっていると思われる。
つまり、読み込み派には評判が良く、流し読み派には不評、ということだ*6


話を「かま2」に戻すと、不評にはまた別の理由がある。
「かま1」のシナリオを書いた我孫子武丸氏は「かま2」では脚本監修にとどまり、サブシナリオ(パロディ系)を 1本書いただけなのである*7
本編(と、いくつかのサブシナリオ)の脚本は田中啓文氏。
その他のサブシナリオは牧野修氏によるものである。
我孫子氏が書いていないため、前作とキャラクターの性格が変わっているなどの弊害もあるが、一番の問題は、両氏がサウンドノベルについて、また、恐ろしいことに、「かま1」についてあまり知らなかったせいとも言われる。


両氏を非難するつもりはないが、例えば Wikipediaでは、我孫子氏が「推理作家」とされているのに対し、田中氏と牧野氏は「SF作家」である。
また、その作風に関して、田中氏は地口とグロ、牧野氏は電波系とオカルトと紹介されており、多少 畑違いだったのではないか、という感じはする。
(本編について語っているこの記事では)余談になるが、サブシナリオを含めた「かま2」全体の印象が、グロくてエグくて救われない話ばかり、というのは、脚本を担当した作家の得意分野を考えれば、非常に納得できる話である*8
そういったこともあり、冒頭に書いたように、「かま3」はシリーズ完結ということで我孫子氏が再び執筆しているというわけだ。


と、このように「かま2」については、どうしてもあまり良い評価はできなくなってしまう。
上で挙げたように、マイナス評価につながる理由が多すぎるのである。
しかし、「かま3」の登場で、もはや「かま2」は必要不可欠の作品となった。
これなしでは「かま3」が成り立たないし、「かま2」の内容をしっかり覚えていないと「かま3」での感動もかなり落ちてしまう。
そういう意味では、「かま3」をやる前提として必ずやっておかなければいけない。正直、「完」だけ見れば充分で、全ED を埋める必要はないが。


ここで、冒頭の結論に戻る。
「かま1」の出来の良さ、「かま2」のダメさを実感した上で、我孫子氏の手による完結編を期待して「かま3」をやろう。
「かま3」の感想は、また近いうちに記事にするので、詳しくはそこで。
昨日の記事にも書いたように、世間の不評とは反対に絶賛する予定。
あまりお目にかかれない内容の感想だと思うので、それなりに期待していただきたい。

*1:チュンソフト登録商標

*2:蒲田屋も久しぶりなので、頭を空っぽにして初プレイの気分でプレイしたら、ものの見事に最悪の ED にたどり着いてしまった。

*3:ぶっちゃけ、今でさえ「マルチエンディング」を誤解しているゲームは多い。ストーリーが樹状に分岐し続けた結果として違う結末があるのがマルチエンディングであり、選択肢を 1つ間違えたら変な展開をして終わり、などというのは、単にゲームオーバーのパターンが多いだけでマルチエンディングとは言わないが、それをもってマルチエンディング方式を謳うゲームが多い。困ったものである。実は「かま2」にもその傾向があったりするのだが...。

*4:削られた ED は、1つがギャグED、もう1つが 2周目以降の正当展開ED。前者はともかく、後者は残っていても良かったと思うのだが。

*5:途中で正当展開ED の 1つに陥る可能性はあるが、これはどんなに推理をしても理論的な根拠を持って避けることができない。どの選択肢を選んでも理論的に不思議ではない場面でのハズレくじ。事故みたいなもの。正当展開ED とはいえ、運次第というのはどうかとも思う。しかし、この ED は多少のヒントにはなる。

*6:じゃあ、「かま3」が不評ってことは流し読み派が多いわけだから、「かま2」は好評なんじゃないの? と突っ込まれると弱い。実際には中間層があり、ここに分類される人が一番多いのではないかと思う。2002年当時の蒲田屋のスタイルも、実は中間層に入れるべきかもしれない。ここでは対照的なスタイルがあることを強調したかったので、敢えて両極のスタイルとした。中間層は、そこそこ考えるけど、それほど深読みはしない感じのタイプ。それぐらいの思考でもアラが目立つぐらい「かま2」は苦しいと思う。いや、確かにこの分析も苦しいんだけど...。また、今回は本編のみの感想であるから触れていないが、「かま2」は本編以外のサブシナリオの数が多かったことも関係している。

*7:ラブテスター篇というのも書いているが、これは透と真理が都会でデートをする話で、1Pが透、2Pが真理となり 2人の相性を診断するというカップルで遊ぶモード。舞台からして都会なので、本編どころかその他のサブシナリオとも一切無関係の完全オマケシナリオ。

*8:ちなみに、Wikipediaの「かま2」の項では「密室サスペンスを主とおいた前作から、民間伝承と猟奇殺人、そして俗に言う電波系で構成されて人を選ぶシナリオになっており、後味の良い結末がほとんどないこと(トゥルーエンド含む)から「続編である必要性が全くない」と批判された。」とある。