マニュアル人間(AT限定)

昨日から引き続き新しいケータイをいじくりまわしているところです。


端末のメーカーが変わったので、いろいろと操作感覚が違っていて、もうちょっと慣れが必要です。
ちなみに、蒲田屋のケータイ遍歴は、F(3年) → SO(5年) → N(1年) → P(2年) → SH です。
見事に被りなし (^^;


しかし、使い方をチェックしていて気になるのは、同じボタンに複数の機能が割り当てられてること。
それもたくさん。


もちろん、少ないボタンで多くの機能を操作するためには当然必要になることだし、最低限の操作ガイドは画面にも出るので、個人的にはそれほど悩むところではないんですが、これが「デジタル系苦手」な人の負担になってるんだろうなぁ、と改めて思いました。


ずいぶん前から指摘されていた話です。
中高年がデジタル機器に馴染めない理由の一つとされていて、個人的にもそうだと思います。


その例として、電車の切符の自動販売機、というのがあります。
イマドキは切符を自動販売機で買うということ自体減ってきているような気がしますが、この話があったときは、まだそれほどでもありませんでした。


曰く、自動販売機が高機能化したせいで、お年寄りが切符を買えなくなった、というのです。
今までは、お金を入れて、決まった位置のボタンを押せば切符が買えました。
でも、デジタル化したために、路線によって、ボタンに表示される金額が異なることがあります。
例えば、一番左のボタンが、150円のこともあれば、180円と表示されることもあるわけです。
同じボタンなのに、動作が違うために迷ってしまうというのです。


これ、切符だからピンと来ないかもしれませんが、中高年の人にパソコンの操作法を教えたことのある人なら、わかってもらえるのではないでしょうか。
彼らは、「この画面ではこの辺にあるボタンを押す」「こういう表示が出たら、一番左のボタンを押す」というように、「手順」だけを覚えようとします。


だから、ちょっとウィンドウサイズが変わったり、ウィンドウの位置がずれたりするだけで、操作ができなくなります。
見たことのない画面など言うまでもありません。
フォルダ階層は元より、デスクトップシステムやウィンドウシステムの概念すら理解できない(というより、理解しようとしない)のです。


そういう人にパソコンを教えていて、蒲田屋は、あぁ、オフコンってやっぱ偉大だったんだな、とか思ったこともありました。
なんでもかんでも、とりあえずファンクションキーに命令を割り当てておけば、「このときはこのボタン」というだけの理解でも十分操作ができます。


つまり、そういう人たちは、状況を把握して判断し、適切な行動を選択して実行することができない、というわけです。
機械的に、「このときは、こうする。次はこれをこうする」とだけ覚えているから、応用が利かないのです。


機械が高機能化したせいで判断を求められるようになったが、人間側は機械的な動作しかできない、というのはちょっと皮肉な話です。


これは、キツい言い方をすれば思考停止というヤツです。
別にデジタル機器の操作に限りません。
パソコンの操作なら大したことはありませんが、「青信号だから行っていい」と思い込んで運転することの危険さは、公道を運転したことのある人ならよくわかっていると思います(わかってない人も多そうですが)。
状況を把握して判断、ということが苦手な大人のなんと多いことか。


ケータイの話に戻ると、あれはやっぱり、かなり無理して操作を割り当ててる感があるので、苦手な人がいても仕方ないと思います。
でも、そういうところで、日頃の「ものを考える力」や「状況判断能力」が思いがけず試されるような気がしました。


思考は柔軟に、自分の頭で考えて、状況に対応できるしなやかさを身に付けたいものです。


というのは、2D格闘ゲームで後退とガードが同じ操作であることを理由に苦手のままでいる蒲田屋が言ってはいけないような気もしますが。